3月は全週末、チームの遠征や、ユースチームの引率で全米中を飛び回りました。しかも広い米国ゆえ、フロリダのように夏のような陽気もあれば、まだ雪が降っている場所への遠征もあり、過酷な一カ月でした。
前回はキッズ(12歳以下)の全国大会をレポートしましたが、今回はユース(18歳以下)の全米選手権の模様をお届けします。
大会の開催地となったのは、オクラホマ州立大学の施設。
飛行機での遠征となったのですが、ヘッドコーチ、マイルズ氏の意向で選手・スタッフは全員ネクタイを着用したスーツ姿での移動が義務つけられました。出発前からいつもとは違う、引き締まった気持ちになったことは言うまでも有りません。
我がレイカースには、今年ブラジルで開催されるジュニア世界選手権に全米代表として出場が期待される数選手を含む、過去にない充実した戦力で優勝候補の筆頭にあがっていました。初日、2日を無難に勝ち進み、順当に3日目の決勝へと駒を進めました。決勝の前日は応援に駆けつけていた、選手の父母や友人達を交えた、約40名ほどで”優勝祈願パーティー”も開催されました。 決勝の相手はミシガンのチームで2週間前の試合では楽勝してるチームでした。観客も含めてほぼ全人がレイカース楽勝という予想を裏切り、試合は終始ミシガンが10点近くリードする展開となりました。要因は幾つかあると思いましたが、大きなポイントとして相手チームが完璧にレイカースのプレーを研究して対応してきたことです。私はジュニアでもの、たった2週間でこれほどまで変化することが出来るのか!と強い衝撃を覚えました。後半残り10分を切っても点差は縮まらず、ビデオを撮影していた私も、大声で声援を送りました。その声が届いたのか?残り5分でエースのジャーミーがスリーポイントを連続に決め逆転。最後の最後までシーソーゲームは続きましたが、レイカースは48−45で劇的な逆転初優勝を飾りました。
試合終了後選手は車椅子から転げ落ち、泣きながら抱き合って喜びを分かち合い、活躍を称えあっていました。また、表彰式ではビールかけを真似たスポーツドリンクかけで喜びを表現。スタッフのスーツ姿もびしょびしょにされるお祭り騒ぎとなりました。
ジュニア2チームの全米初優勝を見届けることが出来、本当にラッキーだと思いつつ、いよいよ最後は自チームの全米優勝をかけた大会が今月13,14日にシカゴで開催されます。次号で自分の優勝報告が出来るよう頑張ってきたいと思います。
2001年04月01日
M我がレイクショア キッズに続きユースチームも全米制覇!(2001年4月)
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2001年03月01日
L3月で研修終了(2001年3月)ジュニア育成など新たな目標を胸に
早いもので今月末をもってダスキンの研修生という立場が終わります。当初掲げていた目的や研修内容を思い出すと、若干脱線した部分や、やり残してしまったこともあるように思いますが、実際に米国へ来て経験した数々の体験は、新しい発見と感動の連続でした。最初のステップとしては多くの収穫が得られた素晴らしい研修となったことを確信しております。
さて、研修生活最後を飾る今回は、ジュニアのバスケットボール大会をお伝えします。先月、我が財団を会場にして13歳以下の大会がありました。彼らにとって実質シーズン最後となるこの大会の前日、大きなストームがあり、停電や家屋崩壊、飛行機キャンセルなどの大きなダメージを受けるハプニングがありました。
一時は開催中止の声も上がりましたが、子供たちの強い要望もあり、暗い体育館の中で、手作りの得点板を使って開催されました。しかし、その場で最善を尽くして大会を運営するスタッフや必死にボールを追いかけてコートを走り回る子供たちの姿に、本来あるべきスポーツの姿を見たように思います。
また、彼らのユニホームのほとんどがTシャツ、車いすは普段用でした。理由はすぐに身体が大きくなってサイズが合わなくなるために、お金を掛けられないからだそうです。また、飛行機で遠征するような遠方からのチームも、バスで来ていることには驚きました。これはチーム予算の問題なのですが、米国では子供の世界でも実力によって待遇が違い、上に行けば行くほど良い環境が与えられている結果です。
最終日には電気も復旧し、明るい体育館の中で熱戦が繰り広げられました。我がレイクショアシャークスは初めて決勝戦にコマを進め、強敵テネシーのチームと対戦。1点を争う好ゲームに会場も非常に盛り上がり、結局26対25でシャークスが初優勝を地元で飾りました。
この大会で優秀選手に輝いたポールは、私が譲ったお古の競技用車いすを使い、大会前の練習でも個人的にシュートを指導してきた選手です。彼の活躍を観ながら仕事も忘れて大声で声援を送っていました。
いつか彼らが世界の舞台へ飛び立ってくれることを祈りつつ、さて次は日本のジュニア育成と車いすスポーツの普及活動だ!
さて、研修生活最後を飾る今回は、ジュニアのバスケットボール大会をお伝えします。先月、我が財団を会場にして13歳以下の大会がありました。彼らにとって実質シーズン最後となるこの大会の前日、大きなストームがあり、停電や家屋崩壊、飛行機キャンセルなどの大きなダメージを受けるハプニングがありました。
一時は開催中止の声も上がりましたが、子供たちの強い要望もあり、暗い体育館の中で、手作りの得点板を使って開催されました。しかし、その場で最善を尽くして大会を運営するスタッフや必死にボールを追いかけてコートを走り回る子供たちの姿に、本来あるべきスポーツの姿を見たように思います。
また、彼らのユニホームのほとんどがTシャツ、車いすは普段用でした。理由はすぐに身体が大きくなってサイズが合わなくなるために、お金を掛けられないからだそうです。また、飛行機で遠征するような遠方からのチームも、バスで来ていることには驚きました。これはチーム予算の問題なのですが、米国では子供の世界でも実力によって待遇が違い、上に行けば行くほど良い環境が与えられている結果です。
最終日には電気も復旧し、明るい体育館の中で熱戦が繰り広げられました。我がレイクショアシャークスは初めて決勝戦にコマを進め、強敵テネシーのチームと対戦。1点を争う好ゲームに会場も非常に盛り上がり、結局26対25でシャークスが初優勝を地元で飾りました。
この大会で優秀選手に輝いたポールは、私が譲ったお古の競技用車いすを使い、大会前の練習でも個人的にシュートを指導してきた選手です。彼の活躍を観ながら仕事も忘れて大声で声援を送っていました。
いつか彼らが世界の舞台へ飛び立ってくれることを祈りつつ、さて次は日本のジュニア育成と車いすスポーツの普及活動だ!
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2001年02月01日
K大きな壁に直面(2001年2月) 子供のスポーツ育成補助を見ても”文化の違い”で済まない日米の差
この2月、米国でスポーツといえばバスケットが一番の注目を集めてる時期となります。
というのも先月でアメリカンフットボールのシーズンが終わり、野球が開幕する4月までの間は4大人気スポーツがアイスホッケーとバスケットのみとなるからです。
特にバスケットの場合、プロはもとより大学リーグも非常に盛んなため、この時期は必ずといって良いほど、毎日テレビでも試合の模様を中継しています。また、今シーズンは私自身も5回ほどNBAや大学の試合を観戦しにあちこちへ出かけました。
年が明けてから財団オフィスにある私のメールボックスには、たくさんの予定表が入るようになりました。ほとんどは、夏に全米各地で開催されるジュニアを対象とした各種サマースポーツキャンプの予定表です。
これらの資料を読んで感心するのは、非常に安い経費で参加できることです。たとえば3泊4日で行われるバスケのキャンプを例に見ると、ホテルと全食事を含んだ参加費は120ドル(約1万4千円)。しかも場合によってはジュニアが所属するチームや財団が交通費を含めた全経費を見てくれるのです。
もし、同様のキャンプを日本で開催しようと考えた場合、交通費を除いた経費だけでも、米国の3倍くらいになってしまいます。これに旅費を入れると、海外旅行が出来てしまう額になる…。
また、車いすを使用した14、15歳の子供が一人で飛行機に乗ってキャンプ地まで訪れるということも、米国では珍しくないのですが、多分日本では危険という認識が強く考えにくいことかも知れません。
私は米国での経験や知識を日本に生かそうと考えていますが、こうした現実を考えると非常に難しい問題が多いことに気が付くのが実情です。
これらの問題を日米双方の友人に話すと、彼らからは一様に「文化の違いだから仕方がないのでは…」という答えが返ってきます。
本当に文化の違いだから仕方がないのか? 現在、私はとても大きな日米の”カベ”にぶつかっている−そんな気がしてなりません。
というのも先月でアメリカンフットボールのシーズンが終わり、野球が開幕する4月までの間は4大人気スポーツがアイスホッケーとバスケットのみとなるからです。
特にバスケットの場合、プロはもとより大学リーグも非常に盛んなため、この時期は必ずといって良いほど、毎日テレビでも試合の模様を中継しています。また、今シーズンは私自身も5回ほどNBAや大学の試合を観戦しにあちこちへ出かけました。
年が明けてから財団オフィスにある私のメールボックスには、たくさんの予定表が入るようになりました。ほとんどは、夏に全米各地で開催されるジュニアを対象とした各種サマースポーツキャンプの予定表です。
これらの資料を読んで感心するのは、非常に安い経費で参加できることです。たとえば3泊4日で行われるバスケのキャンプを例に見ると、ホテルと全食事を含んだ参加費は120ドル(約1万4千円)。しかも場合によってはジュニアが所属するチームや財団が交通費を含めた全経費を見てくれるのです。
もし、同様のキャンプを日本で開催しようと考えた場合、交通費を除いた経費だけでも、米国の3倍くらいになってしまいます。これに旅費を入れると、海外旅行が出来てしまう額になる…。
また、車いすを使用した14、15歳の子供が一人で飛行機に乗ってキャンプ地まで訪れるということも、米国では珍しくないのですが、多分日本では危険という認識が強く考えにくいことかも知れません。
私は米国での経験や知識を日本に生かそうと考えていますが、こうした現実を考えると非常に難しい問題が多いことに気が付くのが実情です。
これらの問題を日米双方の友人に話すと、彼らからは一様に「文化の違いだから仕方がないのでは…」という答えが返ってきます。
本当に文化の違いだから仕方がないのか? 現在、私はとても大きな日米の”カベ”にぶつかっている−そんな気がしてなりません。
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2001年01月01日
J飛躍へ移籍を検討中(2001年1月掲載)
明けましておめでとうございます。
記念すべき21世紀の幕開けを、私はバーミンガムの仲間たちと迎えました。今回は新年初ですので、今年の展望を書いて見ます。
まず今シーズンのチームは昨年末時点で14勝1敗と2部の首位を独走中です。4月の全米選手権制覇も見えてきました。2部の優勝が決まると来季の1部昇格も確実となります。しかし私としては、より強いチームで挑戦してみたいので移籍を検討中です。ボスのスコットにも打診をしています。彼いわく「ジンボは必用だし残留を期待してるが、最後は自分の意思で決めればいい」と。一応残留依頼を受けています。また、「もし移籍したら?」という私の問いに「他から選手を探してくる必要が出てくるので大変だ」と苦笑していました。
現在は1部の数チームと平行して来季の交渉を続けています。また、本紙で初公表するのですが、昨年末にスペインのチームからも移籍の話が舞い込み、現在諸条件についての情報を求めています。ヨーロッパは待遇が良く、多くのアメリカ人選手も流れています。しかし、レイクショアも日米合同キャンプや日本のジュニア選手受け入れなど、様々な新企画の話も出ているため捨て難い。去就問題には頭を抱えて嬉しい悲鳴を上げています。どちらにせよ、自分にとって最高の道を選択するつもりです。
最後に年頭のメッセージを皆さんに送ります。私は1年前、夢に向かって動き出しました。そして想像も出来なかった経験をし、友情を得る事が出来ました。そしてまた、もっと大きな夢を実現させるために歩き続けます。夢や希望をあきらめている人たちにも、一歩を踏み出す勇気と幸運を祈っています。
スコットからも、若い人たちに向けてひとこと。「失敗したり何かを失うことを恐れずに、好きなことにチャレンジし続けて欲しい。ゴールは一つじゃないから、今がダメでも必ず次がある。そして楽しむ心を忘れないで進んでください。そうすればきっと自分自身で幸せを築き上げることができるよ」
記念すべき21世紀の幕開けを、私はバーミンガムの仲間たちと迎えました。今回は新年初ですので、今年の展望を書いて見ます。
まず今シーズンのチームは昨年末時点で14勝1敗と2部の首位を独走中です。4月の全米選手権制覇も見えてきました。2部の優勝が決まると来季の1部昇格も確実となります。しかし私としては、より強いチームで挑戦してみたいので移籍を検討中です。ボスのスコットにも打診をしています。彼いわく「ジンボは必用だし残留を期待してるが、最後は自分の意思で決めればいい」と。一応残留依頼を受けています。また、「もし移籍したら?」という私の問いに「他から選手を探してくる必要が出てくるので大変だ」と苦笑していました。
現在は1部の数チームと平行して来季の交渉を続けています。また、本紙で初公表するのですが、昨年末にスペインのチームからも移籍の話が舞い込み、現在諸条件についての情報を求めています。ヨーロッパは待遇が良く、多くのアメリカ人選手も流れています。しかし、レイクショアも日米合同キャンプや日本のジュニア選手受け入れなど、様々な新企画の話も出ているため捨て難い。去就問題には頭を抱えて嬉しい悲鳴を上げています。どちらにせよ、自分にとって最高の道を選択するつもりです。
最後に年頭のメッセージを皆さんに送ります。私は1年前、夢に向かって動き出しました。そして想像も出来なかった経験をし、友情を得る事が出来ました。そしてまた、もっと大きな夢を実現させるために歩き続けます。夢や希望をあきらめている人たちにも、一歩を踏み出す勇気と幸運を祈っています。
スコットからも、若い人たちに向けてひとこと。「失敗したり何かを失うことを恐れずに、好きなことにチャレンジし続けて欲しい。ゴールは一つじゃないから、今がダメでも必ず次がある。そして楽しむ心を忘れないで進んでください。そうすればきっと自分自身で幸せを築き上げることができるよ」
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2000年12月01日
I我が友ボブが「大きな夢を持って」とみなさんにメッセージ(2000年12月掲載)
シドニーパラリンピックが終わり、日本に帰国したのは11月1日のこと。ホッとする間もなく、同6日にはバーミンガムに戻り、翌日から研修を再開しました。また、すでにバスケシーズンも開幕しており、さっそくチームに合流し、遠征にも参加しています。今シーズン、現時点での戦績は10戦全勝とデビジョン2(2部)のトップを独走中です。
さて、今回は私が研修を受けているレイクショア財団で働くスタッフで、友人でもあるボブを紹介します。彼は21年前、9歳の時に血液の病気で両手首から先と両足の太ももから下を失いました。しかし、当時を振り返った彼は「家族や友人たちに支えられ、悲観的になることはなく乗り切れた」と笑顔で語ってくれました。
退院後は復学し、大学院を経てこの財団に就職したそうです。おそらく日本ならば”要介護”のレッテルをはられてしまう彼も、ここではアクティブで自立した生活を満喫しています。
ボブは腕の先にプラスチックの装具をつけて車イスを器用にこぎ、自由に動きます。普段、彼は子供たちの指導にあたっていますが、両腕でペンを持ち器用に文字を書いたり、パソコンを使ってのデスクワークもします。
生活も自立したもので、アパートで一人暮らしをし、炊事洗濯なども一切、人の手を借りず、すべて自分でこなしています。自ら自動車を運転し通勤をし、日曜日には教会に出かける敬けんなクリスチャンです。
また、彼は車イスラグビーの選手でもあり、昨年度全米優勝を果したレイクショアのチームで活躍しています。そんな彼の夢は、コーチとして自ら指揮を取り全米優勝を果すことだそうです。私とは競技種目こそ違いますが、同じ志を持つボブに親近感を持ちました。
彼は私に言いました。「世界はとても大きい。でも立ち止まっていては何も知ることはできないし、つかむこともできない。だから僕は歩き続けるよ」と。
最後に彼から日本の子供たちに寄せるメッセージをもらいました。「未来は子供たちそのものです。是非大きな夢を持って素晴らしい人生を切り開いて欲しい」。彼は異国の地で出来た同級生の素晴らしい友人です。
さて、今回は私が研修を受けているレイクショア財団で働くスタッフで、友人でもあるボブを紹介します。彼は21年前、9歳の時に血液の病気で両手首から先と両足の太ももから下を失いました。しかし、当時を振り返った彼は「家族や友人たちに支えられ、悲観的になることはなく乗り切れた」と笑顔で語ってくれました。
退院後は復学し、大学院を経てこの財団に就職したそうです。おそらく日本ならば”要介護”のレッテルをはられてしまう彼も、ここではアクティブで自立した生活を満喫しています。
ボブは腕の先にプラスチックの装具をつけて車イスを器用にこぎ、自由に動きます。普段、彼は子供たちの指導にあたっていますが、両腕でペンを持ち器用に文字を書いたり、パソコンを使ってのデスクワークもします。
生活も自立したもので、アパートで一人暮らしをし、炊事洗濯なども一切、人の手を借りず、すべて自分でこなしています。自ら自動車を運転し通勤をし、日曜日には教会に出かける敬けんなクリスチャンです。
また、彼は車イスラグビーの選手でもあり、昨年度全米優勝を果したレイクショアのチームで活躍しています。そんな彼の夢は、コーチとして自ら指揮を取り全米優勝を果すことだそうです。私とは競技種目こそ違いますが、同じ志を持つボブに親近感を持ちました。
彼は私に言いました。「世界はとても大きい。でも立ち止まっていては何も知ることはできないし、つかむこともできない。だから僕は歩き続けるよ」と。
最後に彼から日本の子供たちに寄せるメッセージをもらいました。「未来は子供たちそのものです。是非大きな夢を持って素晴らしい人生を切り開いて欲しい」。彼は異国の地で出来た同級生の素晴らしい友人です。
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2000年11月01日
Hシドニーパラリンピックを終えて(2000年11月掲載)
パラリンピック出場のためシドニーの選手村に入ったのは10月14日。シドニーは初夏ですが、朝晩の気温差が大きいため、多くの選手が体調を崩し、本部の医務室ではドーピングにかからないカゼの薬が底をつくというハプニングもあったようです。
私は今回が3度目のパラリンピックでしたが、選手村の環境は過去最高です。まず、部屋は分譲前の新築一戸建てやマンションで、快適な住み心地。24時間ランドリーサービスが受けられるなど、選手は競技に集中できるよう配慮がなされていたのです。
食事も大満足です。白米のごはん、味噌汁やお新香が常時用意されていて、ほとんどの選手は村内の食堂だけでストレスなく食事がとれていたようです。これは過去の国際大会では考えられない状況です。
大会が始まり柔道や水泳陣に「メダルが出た」という吉報を耳にしながら、わがバスケチームは世界ランクで格上の国々を苦しめる好ゲームを展開しました。しかし勝ちきれず、予選リーグを1勝4敗と大きく負け越し、B組5位という結果に終わってしまいました。
決勝トーナメント進出を逃したため、順位決定戦に回りましたが、最後の9・10位決定戦ではメキシコを相手に、残り20秒で逆転勝利という劇的な展開に、会場も大いに沸きました。
結局、アメリカやオランダといった強豪を下したカナダが見事初優勝に輝きました。私の友人でカナダのエース、パトリック選手が大活躍して優勝に貢献。彼とは毎日、選手村の休憩所で、バスケの話をたくさんできたことも大きな収穫です。
日本選手は精一杯頑張ったと思います。それでも勝てない理由が今の私にはわかりませんが、戦った各国の選手やコーチたちが強くなった日本をたたえると同時に「日本の選手は、ジンボのようにもっと世界に出て来るべきだ」と言っていたのが印象に残りました。もしかするとこれこそが勝利への”カギ”なのかも知れません。
また、今大会で感心したのは多くのボランティアの存在です。日本からも、主婦や学生、定年退職したリタイヤ組などいろいろな人が来ていて、村内の食堂やランドリーで働いていました。数人の日本人ボランティアと話す機会があったのですが、「無償だけど、今世紀最後のスポーツの祭典に関われて光栄です!」と語っていた食堂の学生さんの話しを聞いて、多くの人の手助けを得て競技に専念できる幸福と感謝の気持を強く感じました。
閉会式では満員の観客席に沿って場内を4周も回り、老若男女、多くの人たちと握手やタッチを交わすなど、ほんの一瞬の出会いに熱いものを感じてしまいました。これまで出場した3回のパラリンピックの中で、最も人間同士の関わりを感じられた大会だったと思います。
私は今回が3度目のパラリンピックでしたが、選手村の環境は過去最高です。まず、部屋は分譲前の新築一戸建てやマンションで、快適な住み心地。24時間ランドリーサービスが受けられるなど、選手は競技に集中できるよう配慮がなされていたのです。
食事も大満足です。白米のごはん、味噌汁やお新香が常時用意されていて、ほとんどの選手は村内の食堂だけでストレスなく食事がとれていたようです。これは過去の国際大会では考えられない状況です。
大会が始まり柔道や水泳陣に「メダルが出た」という吉報を耳にしながら、わがバスケチームは世界ランクで格上の国々を苦しめる好ゲームを展開しました。しかし勝ちきれず、予選リーグを1勝4敗と大きく負け越し、B組5位という結果に終わってしまいました。
決勝トーナメント進出を逃したため、順位決定戦に回りましたが、最後の9・10位決定戦ではメキシコを相手に、残り20秒で逆転勝利という劇的な展開に、会場も大いに沸きました。
結局、アメリカやオランダといった強豪を下したカナダが見事初優勝に輝きました。私の友人でカナダのエース、パトリック選手が大活躍して優勝に貢献。彼とは毎日、選手村の休憩所で、バスケの話をたくさんできたことも大きな収穫です。
日本選手は精一杯頑張ったと思います。それでも勝てない理由が今の私にはわかりませんが、戦った各国の選手やコーチたちが強くなった日本をたたえると同時に「日本の選手は、ジンボのようにもっと世界に出て来るべきだ」と言っていたのが印象に残りました。もしかするとこれこそが勝利への”カギ”なのかも知れません。
また、今大会で感心したのは多くのボランティアの存在です。日本からも、主婦や学生、定年退職したリタイヤ組などいろいろな人が来ていて、村内の食堂やランドリーで働いていました。数人の日本人ボランティアと話す機会があったのですが、「無償だけど、今世紀最後のスポーツの祭典に関われて光栄です!」と語っていた食堂の学生さんの話しを聞いて、多くの人の手助けを得て競技に専念できる幸福と感謝の気持を強く感じました。
閉会式では満員の観客席に沿って場内を4周も回り、老若男女、多くの人たちと握手やタッチを交わすなど、ほんの一瞬の出会いに熱いものを感じてしまいました。これまで出場した3回のパラリンピックの中で、最も人間同士の関わりを感じられた大会だったと思います。
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2000年10月01日
Gシドニーパラリンピック18日開幕(2000年10月掲載)
シドニーオリンピックが、多くの感動や記録を残して、大成功のうちに閉幕しました。そして今、パラリンピックの開幕を直前に控えて、スポーツの秋は第2幕を迎えようとしています。
パラリンピックは4年に1度、オリンピックと同じ開催地で行われ、現在では”もう一つのオリンピック”として、日本でも広く認知されるようになりました。私たち障害を持ったアスリートも、この世界最高の大会に出場することの名誉と、活躍することを夢見て日夜厳しい練習に励んでいるのです。
シドニーパラリンピックは今月18日の開会式を皮切りに29日まで12日間にわたり開催されます。近年ではパラリンピックも大きな注目を浴びるようになり、テレビや新聞といったメディアからの取材依頼も非常に増えてきたように思います。
私も9月12日に帰国した直後から、多くの取材やテレビの出演をさせていただきました。また、今月2日に住所地である本埜村をはじめ、留学でお世話になっているダスキンが主催する講演会や県庁への表敬訪問と、売れっ子のタレントのようにあちこちを回る毎日でした。
正直なところ、少し戸惑うこともありましたが、これだけ多くの方が注目し、応援してくれていると知ったことは、選手としても、今後障害者スポーツの発展を目指す人間としてもうれしく思いました。そして、取材で毎回のように聞かれる、大会に向けての抱負や目標を語ったり、支給されたユニホームを見ては、大会への気持も充実しています。
また、今回は初めてNHKが放映権を取得し、万全の体制を取ってパラリンピックの模様を伝えてくれるとの朗報も入り、気合が入ります。今まであまり馴染みのなかった人たちにも選手の活躍を見てもらうことができるのでは、と期待を寄せています。放送は地上波(総合・教育テレビ)で、開会式も生で放映されるとのことですし、連日ニュースや特集番組も組まれているので、ぜひ私たちの活躍をテレビで観ていただき、日本選手への大きな応援をお願いしたいと思います。
ちなみにバスケットは19日から予選が行われます。地元オーストラリア戦でスタートを切ります。
パラリンピックは4年に1度、オリンピックと同じ開催地で行われ、現在では”もう一つのオリンピック”として、日本でも広く認知されるようになりました。私たち障害を持ったアスリートも、この世界最高の大会に出場することの名誉と、活躍することを夢見て日夜厳しい練習に励んでいるのです。
シドニーパラリンピックは今月18日の開会式を皮切りに29日まで12日間にわたり開催されます。近年ではパラリンピックも大きな注目を浴びるようになり、テレビや新聞といったメディアからの取材依頼も非常に増えてきたように思います。
私も9月12日に帰国した直後から、多くの取材やテレビの出演をさせていただきました。また、今月2日に住所地である本埜村をはじめ、留学でお世話になっているダスキンが主催する講演会や県庁への表敬訪問と、売れっ子のタレントのようにあちこちを回る毎日でした。
正直なところ、少し戸惑うこともありましたが、これだけ多くの方が注目し、応援してくれていると知ったことは、選手としても、今後障害者スポーツの発展を目指す人間としてもうれしく思いました。そして、取材で毎回のように聞かれる、大会に向けての抱負や目標を語ったり、支給されたユニホームを見ては、大会への気持も充実しています。
また、今回は初めてNHKが放映権を取得し、万全の体制を取ってパラリンピックの模様を伝えてくれるとの朗報も入り、気合が入ります。今まであまり馴染みのなかった人たちにも選手の活躍を見てもらうことができるのでは、と期待を寄せています。放送は地上波(総合・教育テレビ)で、開会式も生で放映されるとのことですし、連日ニュースや特集番組も組まれているので、ぜひ私たちの活躍をテレビで観ていただき、日本選手への大きな応援をお願いしたいと思います。
ちなみにバスケットは19日から予選が行われます。地元オーストラリア戦でスタートを切ります。
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2000年09月01日
Fシドニーの前哨戦「ルーズベルトカップ」(2000年9月掲載)
8月末にジョージア州ウォームスプリングスで開催された車いすバスケの国際大会”ルーズベルトカップ”の模様をお伝えします。
今回の大会は私が住むアラバマから車で約2時間と、近い所で開催されたため、私はマイカーでの参加でした。
まずアトランタ空港で日本から来るほかの選手を出迎え、合流してピーチツリー市で3日間の調整合宿に入り、その後大会開催地へと移動しました。
この大会は毎年8月に開催されていて、主催側が招待する国々が参加して行われる、単発的な交流戦という位置付けです。しかし今回は多少違った意味を持つ大会となりました。参加8か国の全てがシドニーパラリンピックの出場権を得ている点です。しかも世界ランキングのトップから8か国が招かれているとなれば、これはまさしくシドニーの前哨戦といった思惑が漂っていました。
大会は総当りのリーグ戦を行って上位4チームのみ順位決定戦が行われる方式です。日本は2勝5敗で6位という結果に終わったのですが、現時点で世界ランク2位のオランダやイギリスといったヨーロッパの強豪に最後の1分までもつれる接戦を演じ、世界でも上位を狙えるところまで力を付けていることは日本はもとより、各国の選手や役員も認めていました。また、今回は今まで無敵を誇っていたアメリカがカナダに敗れ準優勝に終わるなど世界のレベルが均衡していることもはっきりしました。これによって本戦の行方はまったくつかめない状況になりましたが、私は逆に日本にも大いにチャンスがあると思います。
この大会期間中にアトランタ近郊に住む日本人会の人たちが、空港での送迎や日本食の差し入れ、歓迎パーティー、連日大勢での応援など、同郷というだけで本当に厚い歓迎を受けました。そして選手は万全で試合に臨むことが出来ました。
このような交流が持てることは素晴らしいことだと感謝しております。私達を支えて下さるこれら多くの方々に、ぜひ本戦の結果を持ってお応えしたいと決意しています。
※次回は本戦直前の模様をお伝えします。
今回の大会は私が住むアラバマから車で約2時間と、近い所で開催されたため、私はマイカーでの参加でした。
まずアトランタ空港で日本から来るほかの選手を出迎え、合流してピーチツリー市で3日間の調整合宿に入り、その後大会開催地へと移動しました。
この大会は毎年8月に開催されていて、主催側が招待する国々が参加して行われる、単発的な交流戦という位置付けです。しかし今回は多少違った意味を持つ大会となりました。参加8か国の全てがシドニーパラリンピックの出場権を得ている点です。しかも世界ランキングのトップから8か国が招かれているとなれば、これはまさしくシドニーの前哨戦といった思惑が漂っていました。
大会は総当りのリーグ戦を行って上位4チームのみ順位決定戦が行われる方式です。日本は2勝5敗で6位という結果に終わったのですが、現時点で世界ランク2位のオランダやイギリスといったヨーロッパの強豪に最後の1分までもつれる接戦を演じ、世界でも上位を狙えるところまで力を付けていることは日本はもとより、各国の選手や役員も認めていました。また、今回は今まで無敵を誇っていたアメリカがカナダに敗れ準優勝に終わるなど世界のレベルが均衡していることもはっきりしました。これによって本戦の行方はまったくつかめない状況になりましたが、私は逆に日本にも大いにチャンスがあると思います。
この大会期間中にアトランタ近郊に住む日本人会の人たちが、空港での送迎や日本食の差し入れ、歓迎パーティー、連日大勢での応援など、同郷というだけで本当に厚い歓迎を受けました。そして選手は万全で試合に臨むことが出来ました。
このような交流が持てることは素晴らしいことだと感謝しております。私達を支えて下さるこれら多くの方々に、ぜひ本戦の結果を持ってお応えしたいと決意しています。
※次回は本戦直前の模様をお伝えします。
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2000年07月01日
E車を作り、レースに参加(2000年7月掲載)障害者と健常者、一切カベない米国、日本の閉鎖的姿勢がバリアに
6月に決定したパラリンピックの出場に喜んでいたのもつかの間、全日本の合宿などで先月も一時帰国をするなど、日米間を行ったり来たりの生活で、本題である指導者研修が思うように進まず、苦労している今日この頃です。
さて、今回はリトルスリックスという財団の事業を紹介します。これは、レーシングカーを子供たちと一緒に作り上げて、実際にレースへ参加するという、日本では想像もつかない事業です。基本的に対象は障害児なのですが、ここでも興味があれば障害の有無に関係なく参加できるため、障害者・健常者の”カベ”は一切ありません。開催は月に1、2回で主に土曜日に開催され、参加費用は無料です。その代わり財団は実際のレースやメディアなどを使って宣伝活動をするというからくりです。
子供たちは実際に図面を見ながら、油まみれになってボルト締め等の組み立て作業に携わります。中には重度で電動車イスの子供も参加しているのですが、作業が手伝えない分、図面の解読や指示に回って参加しているのです。
始めて参加したときは、「こんなことに大金を費やして何になるのか?」と疑問を感じてしまいましたが、夢中で作業をする彼らの姿を見て、無駄ではないことを実感しました。日本ではやる前に「障害者では無理」と決め付けて、その機会さえ与えられないことが多いのですが、アメリカでは子供たちの可能性を広げるために、どんなことでも挑戦する機会を与える環境があります。
もしかすると将来彼らの中から、レーサーやプロのメカニックが生まれるかも知れませんし、自動車関連の職に就く子も出てくるのでしょう。
私は障害を持ってからの14年間を通していつも思う事があるのですが、それは日本が閉鎖的で情報の流れも悪く、チャレンジする機会さえ与えられないことが多いということです。やはり知らされないことが大きなバリア(弊害)になっているような気がしています。これらの流れを少しでも変えることが出来れば…。改めて自分が渡米した目的や将来の夢を実感しています。
さて、今回はリトルスリックスという財団の事業を紹介します。これは、レーシングカーを子供たちと一緒に作り上げて、実際にレースへ参加するという、日本では想像もつかない事業です。基本的に対象は障害児なのですが、ここでも興味があれば障害の有無に関係なく参加できるため、障害者・健常者の”カベ”は一切ありません。開催は月に1、2回で主に土曜日に開催され、参加費用は無料です。その代わり財団は実際のレースやメディアなどを使って宣伝活動をするというからくりです。
子供たちは実際に図面を見ながら、油まみれになってボルト締め等の組み立て作業に携わります。中には重度で電動車イスの子供も参加しているのですが、作業が手伝えない分、図面の解読や指示に回って参加しているのです。
始めて参加したときは、「こんなことに大金を費やして何になるのか?」と疑問を感じてしまいましたが、夢中で作業をする彼らの姿を見て、無駄ではないことを実感しました。日本ではやる前に「障害者では無理」と決め付けて、その機会さえ与えられないことが多いのですが、アメリカでは子供たちの可能性を広げるために、どんなことでも挑戦する機会を与える環境があります。
もしかすると将来彼らの中から、レーサーやプロのメカニックが生まれるかも知れませんし、自動車関連の職に就く子も出てくるのでしょう。
私は障害を持ってからの14年間を通していつも思う事があるのですが、それは日本が閉鎖的で情報の流れも悪く、チャレンジする機会さえ与えられないことが多いということです。やはり知らされないことが大きなバリア(弊害)になっているような気がしています。これらの流れを少しでも変えることが出来れば…。改めて自分が渡米した目的や将来の夢を実感しています。
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2000年06月01日
D 自身含め千葉ホークス4人シドニーへ (2000年6月掲載)〜五輪選手と同じ行事ユニホーム 橋本元首相の約束がついに実現!
現在アラバマは日中30度を超える日も珍しくなく、暑い日が続いているのですが、日本と同様に雨季にもあたることから、スコールも多く湿気のある蒸し暑い日が続いています。
ところで、先日実家に障害者スポーツ協会からシドニーパラリンピックへの派遣通知が届き、正式に出場が決定しました。バスケットでは千葉ホークスから私を含め4人の選手が派遣される結果となりました。また、その他の競技を合わせると県内からは10名(千葉市3名を含む)の選手が決定しました。
今回スポーツ協会からの派遣通知を読んで驚いたことは、セレモニー用のスーツや表彰用ジャージなどはオリンピック選手と同様の物が支給されるということです。これは前回のアトランタ大会までは考えられないことでした。
その理由はオリンピックの管轄が文部省なのに対してパラリンピックは厚生省と違うために、同じ趣旨の大会でありながら差別化されていたからです。
しかし、2年前の長野冬季パラリンピックで、多くの選手がオリンピックと同じユニホームを望んだことから、当時の首相・橋本龍太郎氏が統一の約束をしたことがきっかけとなったとか。何にしても選手にとっては名誉なことであり、喜ぶべき変化ではないでしょうか。私自身も障害者の”特別な行事”という殻からオリンピックに統一を図る大きな変化だと大変感激しています。
また、私の研修先であるレイクショアのスポーツセンター利用者からは、全米代表として、現時点でテニス・水泳・サイクリングなど6種目で12名の選手およびコーチが決定し、たいへん盛り上がっています。
アメリカではパラリンピックや世界大会に出場する選手には、優先的に練習場所の確保や周囲の協力が得られるため、いつもに増して素晴らしい環境の中で集中して練習に励むことができます。
しかも、日本人の私に対しても、周囲は「非常に名誉なこと」として全面的に協力体制を整えて、送り出す準備を進めてくれていることにも大きな感銘を受けています。
ところで、先日実家に障害者スポーツ協会からシドニーパラリンピックへの派遣通知が届き、正式に出場が決定しました。バスケットでは千葉ホークスから私を含め4人の選手が派遣される結果となりました。また、その他の競技を合わせると県内からは10名(千葉市3名を含む)の選手が決定しました。
今回スポーツ協会からの派遣通知を読んで驚いたことは、セレモニー用のスーツや表彰用ジャージなどはオリンピック選手と同様の物が支給されるということです。これは前回のアトランタ大会までは考えられないことでした。
その理由はオリンピックの管轄が文部省なのに対してパラリンピックは厚生省と違うために、同じ趣旨の大会でありながら差別化されていたからです。
しかし、2年前の長野冬季パラリンピックで、多くの選手がオリンピックと同じユニホームを望んだことから、当時の首相・橋本龍太郎氏が統一の約束をしたことがきっかけとなったとか。何にしても選手にとっては名誉なことであり、喜ぶべき変化ではないでしょうか。私自身も障害者の”特別な行事”という殻からオリンピックに統一を図る大きな変化だと大変感激しています。
また、私の研修先であるレイクショアのスポーツセンター利用者からは、全米代表として、現時点でテニス・水泳・サイクリングなど6種目で12名の選手およびコーチが決定し、たいへん盛り上がっています。
アメリカではパラリンピックや世界大会に出場する選手には、優先的に練習場所の確保や周囲の協力が得られるため、いつもに増して素晴らしい環境の中で集中して練習に励むことができます。
しかも、日本人の私に対しても、周囲は「非常に名誉なこと」として全面的に協力体制を整えて、送り出す準備を進めてくれていることにも大きな感銘を受けています。
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